らんのものおき

和訳とか、映画の感想とか、舞台の感想とか。

舞台版Brokeback Mountain観劇レポ

ロンドンに舞台版『ブロークバック・マウンテン』を観に行ったレポです。

はじめに

 2023年3月、ルーカス・ヘッジズとマイク・ファイストがウエストエンドで舞台版『ブロークバック・マウンテン』に出演することが発表された。『ブロークバック・マウンテン』と聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは2005年の映画版だろう。良くも悪くもゲイ映画の古典のような作品である。あの時代に大作映画でゲイの恋愛を題材にして賞レースにも出たのは凄い。一方で、あの作品はよくあるゲイ映画のステレオタイプ全部入りでもある。「美しい映像の中で」「美しい男2人が愛し合う」「片方が死ぬ」「悲恋もの」なんて少しクィア映画ウォッチャーをやっていれば全て耳にタコができるほど聞いた言葉だ。だから、最初に舞台版が発表されたときの第一印象は「今この時代にブロークバック・マウンテンやるの!?」だった。無理もない。普通ならそこで終わりだ。ただちょっと待て。主演がルーカス・ヘッジズとマイク・ファイストなんだよ。なんなんだその「私の考えた最強のブロークバック・マウンテン」みたいなキャスティングは。マイク・ファイストは舞台『Dear Evan Hansen』や映画『ウエスト・サイド・ストーリー』に続いてまた死ぬ役だし(ちなみに私が今まで見た彼の役は半分が劇中で死に、もう半分は人を殺している)、ルーカス・ヘッジズは映画『ある少年の告白』での苦悩するクィアに『ハニーボーイ』の有害さを足したような役だ。すべてのシーンが観る前から想像できる。だけどそれが実際に観れると言われたらそりゃ観たいに決まっている。あの2人をぶつけて互いの得意分野を最大限に出せる作品は何かという問いに対しての『ブロークバック・マウンテン』という選択、これ以上の正解があるか。

 ということでロンドンに行くことになった。日程は8/9のソワレと8/10のマチネ。円形劇場なので一度では見えないシーンもあるだろうと、1回目は1階席の最前列、2回目は反対側の2階席で観ることにした。

 とはいえ演目が『ブロークバック・マウンテン』だ。これは「見飽きたステレオタイプな悲恋を語られる」か「今語るべき物語としてあえてこの作品を選んでいる」かのどちらかである。私が「なんとなく後者な気がする」と思っていると、あるインタビュー記事が公開された。その記事で製作陣はこう語っている。

舞台で理想の世界を描くというトレンドがある今、このような物語を語ることは必ずしも必須ではないかもしれない。理想の世界を描くことは素晴らしいことだ。だが、その裏で実際に起きている事柄について語る機会は失われるべきではない

 ありがとう。完っっっ全に後者である。これを読んで私はこの舞台に対して無事全面的な信頼を寄せた。

 余談だけど、同じ記事でマイク・ファイストが「この作品を通して自分のトラウマと向き合うことになった」と言っていたのでかなり心配になった。何があったんだ。

 さて、実際の観劇は数ヶ月先だったので、ゆっくり予習をすることにした。今回の舞台版は映画版よりも原作準拠ということで、まずは原作小説から。映画版とおおまかな話は変わらないが、文庫で100ページ弱と短いので、色々な描写があっさりしていて読みやすかった。

 次に音楽。今回使われる音楽は舞台オリジナルで、「Brokeback Mountain (Official West End Cast Recording)」で検索すると各種配信サービスで聴くことができる。音楽が重要な役割を果たす作品なので興味があれば聴いてみてほしい。

 ちなみに予習として映画版も観返そうと思ったが、主演の2人が「あえて映画版を観返していない」と言っていたので、それなら私もそうしようと観返さないことにした。

劇場とその周辺

 とうとう劇場についた。場所はロンドンのソーホーにある@sohoplaceという劇場。ロンドンで屈指のゲイカルチャーが栄える地域でもある。

劇場入口前にあるカフェ、20 Soho。窓一面に様々なプライドフラッグが描かれている。

劇場ステージドア正面にあるナイトクラブ、G-A-Y Late。工事中の壁がプライドフラッグの配色になっている。

それらに挟まれた@sohoplace。新しい劇場らしくオフィスビルのような外観をしている。

 劇場内は撮影禁止。600席ほどの小さい劇場で、ステージの周りを360度客席が取り囲むかたちになっている。

全体の感想

 恐かった。劇場でここまでホモフォビアによる恐怖感を肌で感じたのは初めてかもしれない。「あの時代のホモフォビアって残酷だよね」とか「今も考え続けなきゃいけないよね」とかいう現代目線のメッセージを直接伝えるやり方とは違う、観客に当時の恐怖感をそのまま体験させる舞台だった。舞台上だけじゃない、客席を含めた劇場の空間すべてがホモフォビア蔓延する社会そのものと化していた。

 俳優達は決して第四の壁を越えてるわけじゃないけど、でも観客の存在は確かに彼らを抑圧する社会の目としてその場で作用していた。製作側は意図してこれをやっていたと思う。観客を無自覚に彼らを嘲笑する存在として舞台装置の一部にするまでが演出のうちなんだよ。完全に観客がいるからこそ成り立つ舞台だ。『ブロークバック・マウンテン』を観に来ているんだから、だいたいの観客はどのタイミングでどんなシリアスなシーンが始まるか想定している。なのに俳優達はそこにあえて少しだけ笑える演技を入れるんだよ。コメディになりすぎない程度の少し滑稽な演技を。すると観客は当然笑う。劇場の空気が緩む。すかさずシリアスなシーンが始まる。先程の緩んだ空気が彼らを嘲笑するものとして作用し劇場全体に妙な居心地の悪さが生まれる。その日の客席の雰囲気に合わせて微妙な間の取り方とかで俳優が臨機応変に観客の笑い声を操れるのは舞台の醍醐味だと思う。

 席によって見えない演技もあるけどすべての演技がどこかの席からは必ず見られているという@sohoplaceの構造も、観客が彼らを監視し抑圧する社会の目として配置されているみたいですごく良かった。客席の大半が舞台を見下ろすかたちになっているのも、観客が抑圧する側として上位に立っているみたいで良い。劇場に入った瞬間から観客はすでにホモフォビア社会の構成員にさせられているんだよ(劇場に入らなくても現実問題そうなんですが)。

 『ブロークバック・マウンテン』を今の時代に必要な作品として新たに作り上げるにあたって、無難にアップデートするなら新しいシーンやメッセージ性を追加するであろうところ、原作の内容をほとんど変えずにホモフォビアによる恐怖感を劇場内に充満させることに注力するという選択、シンプルにすごい。製作陣のやりたいことがはっきりしている。そもそも無難なアップデート版をやるならそれは『ブロークバック・マウンテン』である必要はないんだよ。『ゴッズ・オウン・カントリー』とかやれば良いんだから。

 製作陣のスタンスが本当に揺るがなくて好き。この作品はホモフォビアヘイトクライムの話なんだというのがパンフを見れば一目瞭然。登場人物の個々人についてはあまり触れずに、1998年に『ブロークバック・マウンテン』の舞台と同じワイオミング州で起きたマシュー・シェパードというゲイの青年が殺された事件の説明に2ページ使ってる。

 映画版『ブロークバック・マウンテン』がヒットしてから長い間、ゲイの恋愛映画は美しさを売りにするものが持て囃されてきて、まるで彼らの関係が「美しいから」異性愛と同等に扱われるべきみたいな風潮があった。今回の舞台版はそういう風潮にも対抗して、美しくなくてむしろ歪ですらある2人の関係を「だとしてもヘイトクライムがあって良いわけがない」というスタンスで描いていたのが良かった(ちなみに製作陣は明らかに映画版に対抗意識を燃やしていて、劇場の外にはレビュー記事を引用して大きく「Even better than the film」と掲示されていた)。

 ゲイカップルの片方が死ぬ物語がステレオタイプな悲劇の消費だと批判されることも多くなった(それ自体は進歩だと思うけど)今において、ヘイトクライムをどう語るかの一つのアンサーじゃないか。映画版公開から18年だよ。ゲイの恋愛物語で真っ向からヘイトクライムの話をするだけでこんなに時間がかかってしまったのかという気持ちすらある。

 余談だけど、2回目観劇のときに客席におそろいのカウボーイハットを持ったおじいちゃん2人組がいたのも良かった。作中のようなヘイトの時代を実際に生き抜いた人達かもしれないと思ってしまう。そういう人達が今も生きてフィクションを楽しんでいるのに、明るい面ばかりを舞台で描いて『ブロークバック・マウンテン』のような作品を切り捨てることはできないと思う。ステレオタイプなゲイの悲恋ものの暗さに嫌気がさす気持ちも分かるけど。このヘイトは全然過去のものじゃないから。でもそれをもう過去のものだと思っている人が多いから、こういうホモフォビア社会のイマーシブシアターみたいな形で擬似的にでも体験させる作品が生み出されたのはすごく意義あることだと思う。まじで恐かった。

シーンごとの感想

※私はこの記事に見たものすべてを書き留める気でいるので、ここからはシーンごとに解説と感想を書いていきます。長いです。興味のある人だけ読んでください。また、主にイニスに対して「有害」という言葉を使っていますが、そこには「でも一番有害なのは彼にそんな振る舞いをさせてしまうこの社会」という前提があります。

シーン1

2013年、老年イニスが一人でベッドに寝ており、側には一着のシャツが置いてある。老年イニスがそのシャツを手に取り思い出に浸るような表情を浮かべと、若い頃のイニス(以下、イニス)が現れる。ここから老年イニスは若い頃の自分に眼差しを向けたり、説明を補ったりする役目として常に舞台上にいる。

1963年、イニスがブロークバックマウンテンでの羊番の仕事をもらうため雇い主の小屋を訪れる。そこで彼は仕事のパートナーとなるジャックと出会う。出会いの記念に酒場に行く2人。無口なイニスとは対照的によく喋るジャック。イニスは今後の結婚の予定を話し、ジャックは女といるよりもロデオをやっているほうが楽しいと語る。

  • 最初の老年イニスが若イニスを間近で見てすれ違うシーン、すごく好き。視線だけで語り部のバトンタッチが行われている。
  • 老年イニスは舞台版だと2013年設定。その翌々年にはアメリカ全土で同性婚ができるようになる。現代の社会状況は描かれない(皆んな知ってるので)けど、時代設定を今と近くしてくれたの、想像がしやすくて助かる。
  • 舞台上に老年イニスがずっといるの、イニスがあの歳まで生き延びてるってこと自体が希望。むしろそれくらいしか希望がない。
  • 酒場、まったく喋らないイニスと一方的に話し続けるジャック。タイプが違うだけでどっちもコミュニケーションが下手。
シーン2

山でキャンプ地を準備するイニスとジャック。ジャックは文句を言いながらテントを準備し、イニスは黙々と夕飯の準備をする。準備が済み、夕飯を食べる2人。食事をしながら、ジャックは熱心にロデオの話をする。翌朝、ジャックは羊番に出かけていき、イニスは朝食の片付けをする。

  • マイク・ファイストのジャック解釈、映画とも原作小説ともまったく違うのに人物としての精神構造が完成されきっていた。あんなに口汚く一方的に喋りまくるうるさいマイク・ファイストは二度と観れないと思う。うるさいのに演技が繊細すぎる。
  • 観る前から想像できるとか言ってすみませんでした。これは知らないマイク・ファイストです。あれだけ影のある役ばっかりやってたマイク・ファイストの一番影がない役がブロークバックマウンテンというシリアス演目なのどういうことだよ。
  • ジャックが山でテントを立てるのが下手くそだった。黙々と準備するイニスの横で口も足音も物音もうるさいのになかなかテントが立てられなくて一人で苛ついてるジャック。テントの釘を地面にさす足音が本当にうるさい。かなり笑いが起きていた。
  • ジャックがテントの準備しながらずっと仕事の文句言ってる。イニスに反応を求めてるわけでもなく本当に仕事に不満があるわけでもなく、ただ何かを喋っていたいんだと思う。イニスがジャックの文句を完全無視してるのも良かった。
  • ジャックは自分の話をちゃんと聞いてもらえないことに慣れているしそれが普通だと思ってそう。なのでイニスにスルーされることに対して傷つきや不満がない。
  • ロデオの話で一人テンションの上がるジャック。テンションが高すぎてイニスに「頭おかしいのか」と言われる。長めのギャグシーン。
シーン3

ジャックが羊番からキャンプ地に戻り、文句を言いながら食事をする。それを聞いたイニスは仕事の交代を提案をする。食事をしながらイニスは、両親が他界し兄と姉に育てられたこと、料理の仕方を姉から教わったこと等を話す。イニスは羊番に出かけていき、ジャックはキャンプ地に残る。

イニスがキャンプ地に戻ってくる。ジャックは服を脱いで体を拭くイニスに視線を向ける。2人は夕飯を食べる。ジャックは、父親がロデオの名士であったことや、実家の牧場のこと等を話す。やがてジャックはハーモニカを取り出し吹き始める。イニスははじめ嫌そうな顔をしていたが、しばらくすると一緒に歌い始める。夜が深くなり、この日は2人共キャンプ地で寝ることにする。ジャックはテントの中に入り、イニスは外で毛布に包まって眠る。

  • 豆の缶詰開けながら文句を言い続けるジャック。不器用で雑なので手を切らないか心配になる。ジャックはイニスと喋りたいだけで本当に仕事が不満なわけではないのにイニスはコミュニケーションが下手なので「なら仕事代わってもいいけど?」って言う。
  • ジャックに自分の身の上を話すイニス。イニスは普段無口だけどこういう身の上話はけっこう自分から話してくれるところ、無意識にケアを求めるのが上手い。
  • イニスが去ったあと、イニスの方向を気にしながらイニスの食べかけのパンを食べるジャック。台本にはなかった演技。ジャックがすでにイニスに興味あるの丸わかりで良い。
  • イニスが身体を拭いてるときにジャックが興味ありそうに見てる。イニスの尻が見えると顔を背けるのも良い。ちなみにイニスの尻が見えるのは観客の笑いポイント。
  • ジャック、父親に関して重めのトラウマがある(後のシーンで分かる)のに、最初にイニスに話す父親関連の話が「親父はロデオで有名で〜」と自慢気味に始まる。トラウマをトラウマだと認識できていない感じがして良い。父親がアドバイスくれないのも一度も自分のロデオを見に来てくれないのも「そのほうがさっぱりしててかっこいい」くらいの認識をしてそう。
  • ハーモニカ吹いて絡んでくるジャック、ウザくて良い。はじめイニスが本当に嫌そうな顔してた。
シーン4

イニスが外で眠りながら凍えていると、ジャックが彼をテントの中に呼ぶ。そこで2人はセックスをし、夜が明ける。翌朝、イニスは「俺はゲイじゃない」と言い、ジャックは「俺だってそうだ。他人にとやかく言われる筋合いはない」と答える。塞ぎ込むイニスの肩を足で突いてちょっかいを出すジャック。腹を立てたイニスはジャックに掴み掛かり、取っ組み合いになる。やがてジャックを地面に押さえ込んだイニスは、ジャックにキスをする。イニスは羊番に出かけて行くが、一度戻ってくるとジャックを後ろから抱きしめる。

  • シリアスホラーシーン直前にイニスへの毛布の被せ方を雑にして笑いをとるジャック。気がある人に対してもこの雑さなので本当に乱雑な人なんだと思う。2回目は勢いよく被せすぎてイニスの顔が隠れてた。
  • イニスをテントに呼ぶジャック、呼び方が「震え声うるせえよ!」みたいな感じの半ギレで笑いがおきていた。これからセックス(というか性暴力)が始まるって観客もだいたい分かってるのに。演技の加減が上手い。
  • テントでのセックスがホラー演出。薄暗い舞台で2人のいるテントだけが怪しく光り、イニスの悲鳴が聞こえる。ここは行為自体が暴力的だしイニスが自分がゲイだと気づく恐怖とも重なっているので。おそらく制作段階で「このシーンってそもそも性暴力ですよね」って話しがあったんだと思う。ここの不気味な雰囲気のピアノ音はJack’s Themeのイントロ。曲の使い方が上手い。
  • テントの中は基本見えないけど、席とその回のテントの閉まり具合によっては全く見えないわけでもないところが、この劇場の「すべてが観客(=社会)の誰かに監視されている」構造にマッチしていて良い。
  • ルーカス・ヘッジズの「I’m not queer」の言い方、100点。このイニス以上にホモフォビアを強く内面化したクィアの役はしばらく見れないと思う。
  • それに対するジャックの「Me neither」まったくイニスを安心させようとする気のない言い方で良かった。ジャックはゲイであることがバレたら殺される危険も知っていながら、隠れてでも楽しみたいという諦めと開き直りがある。あとたぶん死に対しての恐怖がイニスほど強くないので死の危険と楽しみだったら後者を取る人(ロデオがその象徴でもある)。それがイニスには楽観的に見えるんだろうけど。
  • 観客全員から見える位置での初めてのキスがイニスからなの良かった。内なるホモフォビアはすごく強いけどそこに積極性もあるのが良い。イニス視点の恋の話って感じがする。
シーン5

イニスが出かけてキャンプ地に一人残されたジャックは、イニスのシャツを手に取り匂いをかいで懐にしまう。そこへ雇い主がやってきて、「お前らを雇ったのは羊の番をするためで、薔薇を摘ませるためじゃない」と2人の関係を知っていることを仄めかす。ジャックは一人テントの中に戻る。

  • ジャックが一人でイニスとの関係がバレてるのを示唆されたとき、ずっと手に持った投げ縄をぶらぶらさせてるの良かった。明らかに多動。ああやって常に緊張を逃して現実に直面しないように自分を守っている。
  • Coyoteの曲が暗示する2人の関係が世間に見張られてる雰囲気、恐くて良い。ここでテントの中(2人が初めてセックスした場所)が光るのも比喩的で良い。
  • ミュージカルでも単純なストレートプレイでもなく「音楽劇」にするという選択が、言葉で説明しない演技を得意とする主演2人にすごく合っている。音楽が俳優の代わりに状況や感情を語ってくれるという親切さ。
シーン6

2人が一晩を共に過ごしたことで、羊が他の群れと混ざってしまい、憤るイニス。そこへ雇い主がやってきて、初雪の影響で仕事を予定より早く切り上げることを告げる。突然の別れに戸惑う2人は取っ組み合いをする。山を降りて給料をもらう2人。ジャックが去り一人残されたイニスは、気分が悪くなり地面に突っ伏して嘔吐する。

  • 珍しくイニスのほうが先に仕事の愚痴を言いはじめる。すでにジャックのことを好きではあるものの、男性とセックスした自分と誘ってきたジャックへの憤りがあって、でもそれについて直接文句を言う度胸はないので、あくまで仕事の愚痴を言っているという体にして怒りをぶつけている感じがする。
  • ジャック、雇い主から嫌味を言われてるとき顔を伏せながら手に持ったタバコをいじってて、対イニスじゃなくても基本怒りへの正面衝突があまりできない人なんだと思う。不貞腐れた子供みたいな振る舞い。
シーン7

イニスの妻アルマが現れる。2人は結婚し、子供を2人授かる。ある日、イニスが家の蛇口を捻ると、排水管が壊れており、イニスとアルマはその修理のことで口論をする。

  • 爆速で進むイニスの円満な時期の結婚生活。少し出てきてすぐハケてまた出てきたら子供がもう一人生まれている。脚本の取捨選択がはっきりしてて良いと思う。
  • ルーカス・ヘッジズ、円満じゃない異性愛関係の似合うクィアの俳優No.1。
  • 台本にはなかったけど排水が壊れたときイニスが「俺はお前の夫なんだからお前は俺の言うこと聞いてればいいんだよ」みたいなこと言ってた。最近なかなか聞かないレベルの分かりやすい有害男性台詞で良い。妻を自分の所有物だと思っている。
  • ここでの口論の原因が排水管っていう「女には分からないもの(だとイニスが思っていそう)」なのも有害度が増していて良い。
シーン8

結婚生活を続けるイニスのもとに、ジャックからの手紙が届く。2人は4年ぶりに再会し、キスをする。アルマはそれを目撃し2人の関係を知ってしまう。焦ったイニスはジャックとアルマに軽くお互いを紹介し、ジャックと2人で出かけていく。

  • 再会のキスをかなり大袈裟に演って観客を笑わせていた。2日目では観客が笑わなかったので、イニスがその直後のジャックとアルマに互いを紹介する台詞を雑に言って意地でも笑わせていた。絶対に観客をクィアを嘲笑する装置にしたいという役者の意地が見えた。映画版では一二を争うシリアスなシーンなのに。
シーン9

ベッドで愛し合うイニスとジャック。ジャックはロデオでの功績を話すと、突然思い出したように裸のまま外に駆け出し、酒を持ってくる。2人は酒を飲み、ジャックはいつかイニスと2人で暮らす展望を語る。

  • 一番ロマンチックなムードで話しをするべき時に現実的な話やしょうもない話しかしないのは、この2人がロマンチックな話をすると現実との差に直面して喧嘩するから。まず絶対イニスが「そんなことできるわけないだろ!」ってなると思う(実際に後半のシーンで言ってた)。
  • 4年ぶりに会った恋人とのピロートークで長々とベルトのバックルの自慢をするジャック、自分の話したいことを優先で話す「聞いて聞いて!」な子供みたいで良い。
  • 全裸で奇声をあげて走り去るジャック。おそらく全裸のまま家から出て車に酒を取りに行った。客席が困惑していた。ベッドに一人取り残されたイニスのまったく状況が理解できていない表情も良かった。
  • ジャックが本編中一番の奇行に走っているシーン(全裸ダッシュ)が明らかに素面状態なの、酒は好きだけど酔えない人って感じがして良い。
シーン10

イニスはアルマが自分の知らない間にパートタイムの仕事をしていたことを責める。対してアルマは、イニスが安定した職に就かず山での短期的な仕事ばかりしていることを責める。話が終わると、アルマはベッドでイニスを待つ。2人はセックスをしようとするが、アルマがイニスに「今は金銭的に苦しいから子供ができると困る」と言いピルを取り出すと、イニスは憤りピルを投げ捨てて部屋を出ていく。

  • イニス、本編2回目の「I’m your husband」発言。夫という社会的地位にしがみついている。
  • ピルを投げるルーカス・ヘッジズ、本当にのびのびと有害男性演技をしてて最高だった。老年イニスのそれを悔いてるけど許されないことも分かっている演技も良かった。
シーン11

アルマは町でビルという男性に出会う。ビルはイニスとの関係に悩むアルマに助言をし、2人は距離を縮める。その後、アルマはイニスに離婚を申し出る。

  • イニスがアルマに対して酷いことをした直後なので、ここでビルに出会たことが良かったと思う。アルマに主体性がある描き方になっていた。
  • アルマとビル、この演目で唯一健全で円満な恋愛関係だと思う(イニスはアルマ相手でもジャック相手でも依存や支配のある歪な関係になってしまうので)
  • イニスとアルマの離婚話、お互い関係が破綻していることが分かっている虚無な空気感が良かった。
  • 離婚話が終わってイニスが一人ベッドに腰掛けている時点から、次のシーンに移行する前にOn the Hawk’s Back の There were two on the mountainという歌詞が流れはじめる。イニスが一人ベッドでジャックのことを思い出してるみたいで良かった。
シーン12

イニスはジャックにアルマと離婚したこと、子供の養育費の支払いを続けていることを話す。

2人は焚き火の前で身を寄せ合う。イニスは「俺は死にたくない」と言い、かつて彼の近くに住んでいた2人の男性が殺された話をする。幼いイニスは父親に連れられてその死骸を見たのだった。イニスは「あれは親父がやったんだと思う」と話す。

対してジャックも、幼い頃の父親との記憶を話す。ある晩ジャックの父親は、彼を酷く殴り彼の上に放尿した。ジャックはそのとき父親のペニスを間近で見、自分のものとは違うことに気づく。ジャックはそれを「自分は他人とは違うということを区別するために切られた」のだと理解したのだった。

  • さぁはじまりました!主演俳優2人の得意分野演技のぶつかり合いだ!製作陣はこれがやりたかったんだと思う。私もそれが見たかった。ありがとう。
  • 他のシーンでは(自分が愛しているのが男だということに向き合いたくなくて)ジャックの顔を見ずに後ろからばかり抱いていたイニスが、このシーンではジャックに背中を預けて肩を抱かれている。無意識にケアをされている。
  • ジャックがイニスのトラウマ聞いてるときにずっとイニスの髪の毛を触っている。好きな人に触れていたいというよりも、とりあえず何かをいじっていたい多動っぽさがあった。
  • ジャック、トラウマ話してるときに泣きながら(2日目は泣いてなかったけど)爆笑してた。よくある自嘲的な笑みとかじゃなくて、爆笑だった。
  • ジャックはこの出来事をトラウマだと認識できてなさそう。下ネタが好きそうなので父親関連の面白下品話くらいに思ってるかもしれない。でも話すだけでそんな状態になっちゃう鮮明に覚えてる出来事はそれはもうトラウマなんだよ。
  • イニスとジャック、どっちもこの社会で生きていこうとした結果の人格形成って感じがして良い。イニスはたとえ他人に害を与えても自分が苦しくても絶対に規範からはみ出てはいけないって脅迫観念があるし、ジャックは自分ははじめから他の人とは違うという諦めと開き直りがある。
シーン13

アルマの再婚相手ビルの家に招かれるイニス。イニスは妊娠中のアルマと話す。アルマは、彼女がイニスとジャックの関係に気づいていたことを告げる。それを聞いたイニスは激昂する。そこにビルが現れアルマを気遣うと、イニスは気まずくなり退出する。その様子を眺めていた老年イニスがアルマに手を差し伸べようとするが触れることができない。

  • 妊婦相手に逆ギレするイニス本当に有害。主人公をここまで有害な人物として描いているのすごい(その過去の振る舞いを悔いている老年イニスの演技があってこそ可能だったんだと思うけど)
  • 2人の関係に気づいていたことを話す妻が真面目な演技してるのに笑いがおきてたの恐かった。劇場全体がホモフォビア社会そのものになっている。
  • 再婚相手が入ってきた瞬間に黙るイニス、人間性から男性らしさから全てにおいて再婚相手に負けていて良い。再婚相手がそこまで男らしさのあるタイプじゃない(穏やかなおじさんって感じ)のも、イニスの情けなさが強調されて良い。
シーン14

互いの近況を話すイニスとジャック。やがてジャックはイニスに2人でメキシコに住もうと提案する。イニスはそれを拒否し、ジャックはいつまでもこんな関係を続けるのは嫌だと返す。2人は口論になり、ジャックは「できるものならお前とは縁を切りたいとさえ思う」と言う。口論の後、イニスは過呼吸を起こす。

  • 本編中で一二を争うシリアスシーンの喧嘩直前にわざとらしくポーズを取りイニスを誘って笑いをとるジャック。こんなところで一番単純なギャグをやっている。
  • イニスは自分の子供の面倒をあまり見ていないのに「子供は女の子じゃなくて男の子が欲しかった」って言っているの、子供のことも自分の社会的立ち位置を守るためのものだと思っている。なんなら生活苦しいのに3人目の子供を欲しがっていたのは男の子が欲しかったからな可能性もある。一方ジャックは「子供が明らかに失読症を抱えているのに妻がそれを認めようとしない」と、妻よりも子供の変化に気がついている。
  • ずっとヘラヘラしていたジャックがこのシーンで初めて真剣に怒りを表明して「俺達は一緒に良い人生が送れたのに」と言う。最初から自分には他の人と同じような人生は用意されてないっていう諦めがあるジャックの、他の人と同じ人生が用意されてないことに対してのやっと出た怒りみたいで良い。
  • だけど2日目のジャックはこの「俺達は一緒に良い人生が~」でも笑ってしまっていた。たぶん1日目よりもイニスの激昂が強すぎて向き合う精神力がないと判断してあの演技になったんだと思う。感情のキャッチボールが日によって違うのが凄い。
  • イニス、自分の怒りや不満をぶつけるために正論らしい言い方をするのが上手い。
  • ジャックは自分の人生をジョークだと思ってそう。自己肯定感が低いというより自己肯定感がない状態が常で、ない状態のままハイテンションをやってる。ジャックが真剣な話をしながらも笑っちゃうのは、自分にはそれを真面目に語るほどの価値がないと思ってるからなところもあると思う。
  • ジャック、やっと怒りを表明できた直後にイニスの体調不良で話を切り上げられて向き合ってもらえず、イニスの心配をせざるを得ないの可哀想。体調不良は仕方ないのでイニスを責められないのが尚更可哀想。これが2人の最後のシーンなので、イニスは最後までジャックにケアをされている。しかもジャックはたぶんその体調不良の原因が「男性である自分と恋愛関係にあることへの嫌悪」だということまで分かっている。
  • 現実の同性婚の議論とかでよく言われた「ゲイの恋愛関係は短期的」ってのも全く根拠のないデマではないんだよね。社会状況を顧みると一人と長期的な関係を築くことはあまりにリスクが高くて困難なので。ジャックの振る舞いはそんな背景も感じられて良かった。
  • イニスにとってのジャックは唯一恋愛関係になれた男性(ホモフォビアを内面化しているので自分から男性と恋愛関係に踏み出すことができない)だし、ジャックにとってのイニスは唯一自分との関係を長期的に求めてくれる男性で、歪な共依存関係になっている。
シーン15

イニスがジャックに送った手紙が返送されてくる。不審に思い電話をかけると、ジャックの妻から、ジャックが事故で死んだことを知らされる。それはかつてイニスの父親が殺した2人の男性と同じ死に方であった。イニスはすぐにそれが事故ではなくヘイトクライムによる殺人だと悟る。

  • ジャックの妻が「ブロークバック・マウンテンってあの人の戯言だと思ってた」と言うシーンの「あの人よくお酒を飲んでたから」で観客が笑ってたの、恐かった。ジャックはどんなに酒飲んでも普段よりテンション高くなるくらいで記憶なくしたり突飛なこと言ったりはできないタイプだと思う。だけどよく酒を飲むので真面目に語った夢や思い出が酔って言った戯言だと思われている。
  • ジャック、ただの酒好きでアルコール依存まではいかないくらいなのが精神的問題にフォーカスされてなくて良い。精神面が大丈夫じゃないのは明らかなのに誰にも気づかれていない。
  • イニスがジャックの死因を悟るところ、台本ではイニスが独り言で「Tire iron(凶器に使われた道具)」と言うはずが、実際には老年イニスの台詞になっていた、ルーカス・ヘッジズが得意の寡黙な演技をできるようにという配慮が手厚い。
シーン16

ジャックの両親を訪れるイニス。ジャックの父親は、ジャックがブロークバック・マウンテンに遺灰を撒いてほしいと言っていたこと、しかし家族の墓に入れるためそれはできないことを告げる。ジャックの母親はイニスをジャックの部屋に案内する。イニスはそこでかつてジャックが盗んだ自分のシャツを発見する。シャツを持って一人で家に帰るイニス。イニスはベッドに腰掛け、持ち帰ったシャツに顔を埋め、ジャックのことを思い出す。するとジャックがかつての姿で現れ、舞台の端に立つ老年イニスを抱きしめる。

  • ジャック、父親にトラウマ植え付けられてるのに死ぬ前に実家暮らししていて家業の手伝いすらしていたらしい。自分を尊重しない人のもとに自分から行っていたの、尊重されないのが当たり前だと思ってる感じがする。認知が歪んでいて実家の環境が良くないということを認識できていない。
  • 実家暮らししてた時期のジャック、両親にも普通に「将来男の人と一緒に牧場をやって暮らしたい」みたいな夢を語っていたらしい。たぶん聞かれてもないのに一方的に話してたんだと思う。両親も9割聞き流すだけであってほしい。
  • ジャックは死ぬ前にイニス以外の男とも一緒に暮らす計画を立てていたらしい。イニスとジャックの関係を唯一無二のものとして描くなら削除しても良いその情報をちゃんと入れたの誠実だと思う。ジャックがイニスだけに依存していたわけじゃないことが分かって少し安心する。
  • ジャック、ブロークバック・マウンテンに遺灰を撒いてほしいという最後の望みすら聞いてもらえない。結局イニスも両親も誰もジャックの話をちゃんと聞いていない。
  • ラストシーン、シャツに顔を埋めて表情を見せないイニスがすごく良かった。
  • 思い出に浸るような老年イニスの表情もすごく良かった。
  • あれだけ本編でうるさいハイテンションの多かったジャックが、ここではしっかりイニスの美しい思い出の姿として存在して整合性が取れているの、演技の加減が上手い。イニスの思い出が美化されているという歪みが前提にあってこそではあるけど。
  • 恋愛にフォーカスした演出じゃないのにラブストーリーとしてもすごく良い。あの2人の関係は美しくも唯一無二でもない(美しくも唯一無二でもなくてもヘイトクライムはあってはいけないので)けど、あの思い出は老年イニスにとって愛おしくて特別なものだし、その2つは両立する。
  • 俳優も演出も脚本も良かったけど、私はそもそも『ブロークバック・マウンテン』という物語がけっこう好きかもしれないな!?って気持ちになってきた。原作にも映画版にもあまり思い入れがなかったのに。ありがとう舞台版。大好きです。